〒142-0041 東京都品川区戸越三丁目11番12号 杉本ビル102
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1 ベーシックインカムとは
ベーシックインカムとは「収入の水準によらずすべての人々に無条件に、最低限の生活を送るのに必要なお金を一律に給付する制度」と定義されています。
日本国憲法第25条第1項では「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定していることから、上記定義の「収入の水準によらずすべての人々に無条件」、「一律」を除いた形式では、自力及び他力(国等からの給付)によるベーシックインカムは憲法上保障されている形にはなっています。
具体的には、生活保護法による各種給付金、子供手当、雇用保険被保険者の失業給付金、国民年金、厚生年金等による公的年金給付等、ベーシックインカムに類する公的な給付が存在し、これらの給付が適切に運営されれば、すべての国民に生活に必要な最低限の収入が得られることになる建前となっています。
しかし、これらの給付には、保険料を納付するとか、処分できる財産がないとか、扶養義務のある親族はいないかとか、様々な支給要件があるので、とてもベーシックとは言える制度ではありません。
もっとも、憲法第27条第1項では「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と規定されているので、「働かざる者食うべからず」のことわざのように、遊んでばかりいるキリギリスにお金を恵んであげる(給付する)必要はなく、全部自己責任だという考え方は当然のことです。
しかしながら、先祖から相続した莫大な財産を有する一部のセレブやその子息は、遊んでばかりいても地代家賃や預貯金の利子・株式等の有価証券の配当収入がたっぷりあり、また同族会社の形ばかりの役員に就任し多大な役員報酬を得ている等、極めてぜいたくな生活をしていることは、とても不公平だ!というのも真実です。これらの人たちは、証券会社等の金融機関の上得意客であることからファイナンシャルの専門家に守られ(上得意客に逃げられたくないので、損失を他の無知な弱小取引先に転嫁するなどのことを平気でやっている?)、また、低率な一律課税の金融・証券税制によって守られている(累進課税による高税率による所得課税から逃れている!)、さらに、コロナウィルス禍等の困難な経済状況下でも、しっかりとその事業等が存続し、保有する金融資産が激減しないように政府日銀の株価維持政策等でがっちりと守られている?、現実もあります。
これも、日本がグローバルな資本主義に従った世界に従属している以上、やむを得ないことかと思います。(共産主義の失敗は、歴史的にも明らかです。中国の共産党は、ポスト共産主義の実験の真っ最中なのではないかと考えられます。尤も一党独裁体制にひたすら固執し思想統制を継続していることはいかがなものかと思いますが?このまま思想・信条・表現の自由を抑圧するスターリズム的政策を続ければ、旧ソ連と同じ道を進むのではないかと思います。また、日本共産党がなぜ「共産党」という前時代的な言葉にこだわっているのか理解できません!弱者の味方を標榜し何でもかんでも反対し、本質を歪曲して党利党略を優先する体質から脱却できていないのがとても残念です。)
これらの矛盾は、世界の各国が様々な考え方により、タックスヘイブン国家の存在を許し、貧困・低賃金労働の格差の許容を認める以上、グローバルな資本が最も効率的に利潤を得ること(資本の自己増殖)を追求することについて全否定しきれないことから、日本国内の産業を維持・誘致し、経済を維持するためには、やむを得ないこととも考えられます。
これに加えて、いわゆるAI技術の飛躍的な進展は、人間の労働の領域をAIロボットに置き換えたほうが、効率的に資本の利潤を得ることができるようになってきています。
この結果、国境を越えた資本の利潤追求に従属する労働の低賃金化は加速し、失業・貧困による格差拡大の深刻化は避けられないものとなります。
この場合、かつての盲目的マルクス主義者ならば、資本主義の最終段階が近づいて、いよいよ、インターナショナルな労働者による共産主義革命の時代が来た、と大喜びするでしょう。
しかし、事はそう簡単ではありません。AI技術の進んだ経済社会、複雑に重層的に形成された政治行政組織等をいっぺんに覆すことは極めて難しく、ましてや核兵器が存在する中での革命戦争など世界の破滅を導くため、到底不可能です。
そこで、コロナウィルスが全世界的に席捲している中で話題となっている「ベーシックインカム」で、世の中がどう変わるかということを真剣に検討する時が来ていると思います。
恒久的なベーシックインカムの導入の意味するところは、究極のところ、生活するために労働力を他人の資本の利潤の追求のために提供しなくてもよいという選択肢を、すべての人々が得ることができるということです。
2 ベーシックインカムと労働の概念の変化の歴史的意義
社会とは、まず、家族を基本単位として、自給自足・相互扶助で生活を賄えば、経済は不要となります。また、家族が増加して部落(部族)を形成しても、その範囲内の自給自足・相互扶助で部落(部族)内の人々の生活を賄えれば、同じく経済は不要です。(この段階では、労働の成果である帰属所得=imputed income(この意味は当ホームページの別項目を参照してください)が経済社会に現象することはありません。)
次に、複数の部落(部族)間の交流が偶然生じ、それぞれの部落(部族)の余剰生産物があれば、それを交換する物々交換により、経済が初めて生じます。(まだこの段階では、個人の所有権の概念は生じていないと考えられます。生産物の所有権(まだ所有権という概念はないが)は部落(部族)の総有として把握され、その管理者が徐々に生じ、部落(部族)の支配層が生じれば、その者が管理者となると考えられます。)
さらに、複数の部落(部族)の争いが生じ、戦争となった結果、勝った部落(部族)が負けた部落(部族)の全部を所有(負けた人々を奴隷として所有することを含む)し、奴隷となった人々はその生命・労働による帰属所得等のすべてを、勝利した部落(部族)の所有物として取り扱われる(人権という概念はまだない)こととなります。
また、弱小部落(部族)は、強大部落(部族)との争いを避け、その生産物等の所有物を貢物として(租税の始まり)強大部落(部族)に献上することにより、奴隷とされることはなくなるものの、被支配者として、強大部落(部族)の支配に属することとなります。(国家、身分制度の始まり)
他方、部落(部族)からあぶれた人の中から、各部落(部族)の余剰物の物々交換を生業とする者(商人の始まり)が生じ、取引の簡素化のために、互いの信用を共同幻想化した「通貨」に類するものが生じることになります。(価格=商品価値の始まり)
このような件の話は、エンゲルスの「家族、私有財産及び国家の起源」のほか、数ある各種の貨幣、経済に関する著書が詳しいですが、上記の部族、国家間の争いの中から、農業、鉱工業、商業の仕組みが発達し、資本主義(国家レベルでは重商主義)が発達してきたところです。そして、キリスト教の宗教改革、イギリスの権利の章典、産業革命、フランス革命による個人的人権概念の確立を受けて、個人の所有権の保障概念が確立されます。(それまでの支配権力者に認められた所有権ではなく、天賦の人権としての所有権の保障。)
この渦中で、自己の所有するものが何もない人は、自己の労働力を商品として他人に提供し、その対価である貨幣を得る(ここで帰属所得たる労働が経済社会に発現することになる。)ことを生業とする労働者が登場することになります。(労働価値説については、アダムスミス、リカード、マルクスなどいろいろな理論があります。)
この労働力商品に関するマルクスの理論に変遷については、廣松渉さんの疎外論、物象化論に関する著作が詳しいですが、要は、何も所有しないいわゆる「無産者」が生活するためには、自分のやりたくない労働を他人に提供しなければならない疎外感(労働による自己疎外、労働して得た成果が自分のものにならない。)を抑えて、自己の帰属所得たる労働力を商品として経済社会に物象化(現象)させ、その対価として生活のための通貨を取得する必要があるということです。その結果、労働者は生活費を得るために、自分の得るべき成果である価値を資本家に搾取されるという構図となる訳です。(結局のところ、資本主義は物だけでなく技術・アイデア等あらゆる存在を商品とする(商品として物象化させる)ので、資本自体も株式・出資として商品となり、仮想通貨をも商品化して取引の対象としています。いわば、資本の増殖のためには何でも食い尽くす怪物が産業発達・科学技術の発展の原動力となっているのです。)
しかし、この労働の内容に関しては、様々な発明、技術の発展によって歴史的に大きな変容をしており、また単純な肉体労働のほか、単純な技術・事務労働から巧みな技を要する技術労働、いろいろな知識に基づく事務労働、知恵や知識を総合的に活用した研究的労働、各種芸術等の創造的労働等々、その帰属所得の内容は多種・多様です。
そして、労働の歴史的変遷としては、まず、農耕に関しては、牛馬によって、力仕事の一部が取って代わられ、それがトラクターにとって代わり、AI技術の自動運転が取って代わる。また、製造業に関しては、蒸気機関・電気等によるオートメーションが、単純な労働にとって代わり、それがAIロボットに取って代わられる。さらに、工芸の匠の技までもがAIロボットに取って代わられ、チャットGTP等のAIが様々な知的業務で行われるような時代を迎えています。
つまるところ、資本の効率的な利潤の追求のためには、人間の労働によらず、AIロボットによったほうが効率的である時代を迎えようとしているため、搾取される労働者対搾取する資本家という階級闘争の構図が成り立たなくなっている時代を迎えるということです。(生活するための搾取される労働力を提供する機会すらなくなる人々が大多数となるということ)
このため、国民の生存権の保障のためには、ベーシックインカムが不可欠となる訳です。
他方、個々の労働者は、このベーシックインカムにより、帰属所得としての労働を労働力商品として物象化し最低生活費の賃金を得るという自己疎外の呪縛から、初めて解放されることになります。
あとは、各人の各種の帰属所得とその成果をどのように使うかは任意で、個人の自由選択になります。
また、社会資本的には、AIの進展により、大多数の労働者が職を失い、所得が無くなることは、大半の市場を失うこととなり、資本が生み出す産出物を消化できなくなり、資本の自己増殖ができなくなるため、職を失った大多数の労働者の消費を促して、市場を維持する必要性が出てくることとなります(有効需要の創出には、公共投資よりベーシックインカムが極めて有効となる。)。
したがって、ベーシックインカムは、資本主義の維持にとって、必要不可欠なシステムとなり、後は国家の適切な通貨管理、税制・財政政策により、市場の混乱を防ぐことが重要になるということとなります。
3 ベーシックインカム導入後の意識(概念)の変化(パラダイムシフト)
ベーシックインカムが、労働者が生活を賄うためにその労働力を、商品として提供し賃金を得るという軛(くびき)から解放することの意味は、人(労働者)自体に帰属する労働(何らかの人の行為)による結果(何らかの利益、一定の行為による利益から、一定の産出物物の生産等の利益その他事実上の利益)は、すべて、その人(労働者)に帰属するということを意味します。この結果である何らかの利益(これは帰属所得そのものであるので、これを課税すべきかどうかは、本ホームページの帰属所得の項目をご覧いただくとして)を、自分の生活や趣味のために使うか、通貨を対価として得るために他人に提供・譲渡(取引)するか等の処分は、その人(労働者)の自由(任意)であるということです。(個人は、その性格・能力・個性・器用さ等に合わせて、様々な結果(帰属所得)を生じさせることができます。)
ただし、ベーシックインカムの給付は、最低限の生活費(消費税も含めて)の保障にすぎないこと、健康で文化的なものについても、国等の公共機関から最低限の提供があるにすぎないことになります。またこの最低限の生活費を何を基準とするかは、大きな問題となりますが、全地域の平均による最低額とすべきと考えられます。
したがって、ちょっとした小遣い銭が欲しいとか、より物質的に豊かな生活をしたいとか、より便利で文化が集中している地域で派手な生活をしたいとか、趣味や旅行を楽しみたいと思うときは、当然、ベーシックインカムによる給付のみで生活費を賄えなくなることから、自己の処分可能な帰属所得を通貨にするための取引(処分)をすること(経済社会に現象すること)が必要となります。また、田舎で、ベーシックインカムの範囲内で、物質的よりは精神的に豊かな生活をしたいと思えば、何もしなくても若干の余剰は生ずることになると思います。つまり、個々人の欲望と選択により、帰属所得による様々なインセンティブの取得が可能となるということです。
なお、教育に関しては、基礎知識の習得から高度教育まで、いつでも無償で受けることができる制度の確立が必要です。資本主義社会の資本の自己増殖のためには、不断の科学技術等の発達が必要であり、AIを超える創造性を人々が生み出すためには、年齢に関係なく高度の教育が不可欠ですので、ベーシックインカムの範囲を超えて、高度の教育をいつでも誰でも受けられる制度が必要なわけです。(人生のやり直しの機会も必要です。これにより、インセンティブの格差が生じるのも当然の結果になると思います。)
また、医療及び介護にかかる費用は、上記の最低限度の生活費で賄うことを前提としていない臨時の費用であることから、公的施設により無償で受けることができなければならないと考えられます。
さらに、個々人の様々な選択と、個性・能力により、様々なインセンティブが生じることによる様々な格差が生じることはあきらかですが、これは個々人の能力と個性により選択した結果ですので、やむを得ないこととなります。(努力した人々は報われなければならない。最低賃金の規制は不要となり、「能力の高い仕事」だけでなく、AIロボットに置き換えられない「人の嫌がる仕事」は高報酬となることも?)
ベーシックインカムは、このように、健康で文化的な最低限の生活を保障し、憲法の保障する基本的人権と個人の様々な選択の自由を保障する大前提となります。しかし、憲法第12条では、人権の保障と選択の自由も、その乱用は許されず、公共の福祉のために利用する責任を負わされています。したがって、憲法以下、民事法、刑事法等の法規範に従う必要があります。(しかし、この法規範という共同幻想は歴史的に時代により変遷するもので、絶対に正しいものとは限らないので、常にその正当性と、相当性を監視し、改正する努力を怠ってはならないと思います。)
他方、この権利義務を正しく理解するためには、個人に正しい人格が形成されている必要があります。
しかしながら、この人格形成が欠如している場合があります。それは、未成熟子、民法上の被後見人、被保佐人、認知症患者等、自己の財産管理能力を欠いている人に対するベーシックインカムの管理と「健康で文化的な最低限の生活の確保」の問題です。また、これは、家族に関するベーシックインカムについても難しい問題を提起します。
家族の法律関係(本ホームページの別項参照)について、ベーシックインカムが導入されれば、民法上の親族間の扶養義務及び相互扶助義務を不要とするはずですが、現実の社会生活では、一定の家族が世帯として共同生活をし、また、別世帯となっても相互依存の関係にあることから、当該扶養義務等をなくすことは適切ではありません。そうなると、ベーシックインカムの給付は、家族の個人ごとに給付するのか、世帯ごとに世帯主に給付するのか。家計は個人ごとに管理するのか、世帯全体で世帯主が管理するのか、といった問題が生じます。
特に、子供がまだ生後間もない子供はもちろん、未成年の子の場合には、親に親権者としての監護権や財産管理権、法定代理人の地位が与えられていることから、親が自由にこのベーシックインカムの給付を使うことができてしまう結果、親の管理の仕方によって、子の給付をすべて子供名義の金融資産として積み立てている場合と、全部家族の生活費のために使い切ってしまう場合とでは、子供の任意の選択のないところで、とても大きな格差が生じてしまうことになります。ましてや、毒親が、自分の遊興費やギャンブル費用に子供のベーシックインカムの給付を使ってしまい、子供が最低限度以下の極めて劣悪な貧困に甘んじざるを得ない状況が生じる危険性があります。
従って、このような場合の給付金の管理は、信託に類似する財産管理を義務付け、管理者の自由な処分を抑制する必要があると考えます。(併せて、親が子供を搾取・虐待することを許さないシステムを、社会的に強化する必要があります。)
またベーシックインカムの給付金については、確実に最低限の生活費に充てるために、差押禁止、譲渡・担保の禁止、所得課税非課税の措置を与えるべきと考えます。そして給付金の額の基準は、生活費に使った費用に係る消費税も加算した税込金額による最低限の生活費の全国平均により算出すべきと考えられます。(消費税等の租税公課が、ベーシックインカムによる最低限の生活の保障を圧迫することは許されない。)
4 ベーシックインカムの下での税制の検討
どのような税制と財政政策でベーシックインカムの制度を維持するかについては、貨幣の新規発行による貨幣発行益を充てるとか、ミルトンフリードマンの負の所得税で財源を賄う、とか様々な議論があります。ベーシックインカムには前記のような市場の創設・維持の機能もあることから、新たな市場のための通貨の発行(もしくは銀行振込み等の信用の創造)が必要となるので、その時点で生じた貨幣発行益で賄うことになりますが、同時に通貨の供給過大による、高度なインフレを防止するためには、租税による貨幣(信用)の回収や金融政策による調整並びに国債の発行も同時に行う必要があります。また、租税は、上記のインセンティブの格差による所得格差の是正や不平等感の緩和の役割を果たすことになります。
ベーシックインカムの課税について、憲法上の生存権の保障についての現行法上の考え方では、自助努力で健康で文化的な最低限の生活を確保できないときは、公的扶助で保障する方法を採用している(生活保護法参照)ことから、これを簡素化した形のフリードマンの「負の所得税」の考え方が妥当かと思われますが、この場合は少なくとも、最低生活費を賄うまでの自助努力については、最低限の生活費を得るため、他人の資本の自己増殖のために自己の労働を商品として提供することが強制されることとなり、帰属所得たる労働の自由な処分の選択ができないことに帰結します。従って、当然に、やりたくない仕事でインセンティブを得られない労働を提供することはやらないほうが得だということになり、労働の提供の選択の負の負荷となってしまい、社会経済的な損失を誘導する結果となります(より大きなインセンティブを得る機会を失い、これによる資本の自己増殖を失うことになる。言い換えれば、極めて才能のある人が、生活費を得るための無駄な労働で時間を浪費し、その才能を開花させ、素晴らしい創造物を創出する機会を奪うこととなります。)。
よって、前記の通り、ベーシックインカムの給付に所得税を課すべきではなく、すべての人々に無条件で同額の金額を支給すべきことになります。
他方、帰属所得をどのように使うかの選択(生産物の販売、サービスの提供、労働力の提供等)により得られたインセンティブ(担税力の発現と認められる所得)には、通常の所得税等が課せられますが、その計算の際の各種所得控除は、すべての人々にベーシックインカムがあることから、不要となるので、一切なくすべきと考えられます。税率も累進課税にする必然性が無くなり、シンプルな定率とすべきです。また、所得区分をなくしたうえで、給与所得控除等の概算控除をなくし、収支計算により所得を算出すべきものと考えます。ただし、源泉徴収制度は所得税と同一の源泉税率で維持し、確定申告不要とし、必要経費を計上するときには、収支計算をして確定申告で税額の精算ができるようにすればよいのではと考えます。
現在上記のほかに、個人の所得に賦課する租税公課には、地方税では個人住民税、個人事業税、いわゆる社会保険では、医療保険(働き方や年齢によって名称・賦課の仕組みが違います。国民健康保険は税とされることがあります。)、介護保険、年金保険(働き方等によって違います)、労働保険(労災保険、雇用保険)があります。
地方税は、地方自治の財源とするためのものなので、すべて国税に統合して、地方に財源を適切に配分できれば、別個の税目としては不要(税率を所得税に統合)となります。
社会保険は、国家等の行政の費用を賄うためのものではなく、疾病、高齢化、失業、労働災害、介護などのリスクに備えて、その構成員が保険料を拠出しあって、そのリスクが生じたときの負担(費用の支出)をその構成員全員で分担する保険制度で、公的機関が管理し不足する費用を国家が補助する形態で運営されています(別に、私的な保険として、生命保険、損害保険、企業年金等があります。ただこれらの私的保険は、保険の性質より金融商品としての性質が強いものがほとんどで、より利回りが良いものが商品として好まれている傾向があります。)。しかし、すべての社会保険には公費が投入され、そのほとんどの財政は、過半が公費で賄われている状況であり、特に年金のうち国民年金(厚生年金中の基礎年金も同様)は、ベーシックインカムに包含されるものなので存在理由が無くなります。さらに、医療保険及び介護保険は、既述の通りすべからく公的機関で無償により給付されるべきものあることから、不要となります。同様に労働保険も、ベーシックインカムと医療・介護の無償給付から不要となります。
現在の社会保険は、公課として所得に応じて一定率で賦課されるのが基本であるので、ベーシックインカムの下では、この率を所得税の税率に上乗せしても、実質的な税率の増加にはならないと考えられます。また、所得税の負担がない者は、ただ乗りだとの批判があるかもしれませんが、現行制度もその過半は公費負担で、その財源は税金もしくは赤字国債で賄われていることから、実質的には大差ないことになります。
なお、厚生年金の基礎年金以外の部分は、ベーシックインカムの下では私的保険の性質を有するので、保険料支払いによるインセンティブとして、私的保険と同様の取り扱い(公的補助を入れるべきではない)にすべきと考えられます。
結局のところ、税と社会保険の一体改革は、ベーシックインカムの導入により、最終的に解決されることになると考えます。(また、コロナショックのような大困難等が生じたときには、ベーシックインカムの給付があれば、国民生活の確保・医療の給付等の社会の基礎的な部分には対応できるはずと考えます。あとは、インセンティブを失う経済的損失をどのように補うかの問題ですが、インセンティブ部分の経済は、選択による自己責任が原則となりますので、公的資金の投入は、混乱を避けるための最低限なものとすべきと考えられます。なお、損失を被った者も、ベーシックインカムは差押禁止となりますので、最低限の生活は保障されていることになります。従って、最低賃金の定めも不要となります。)
ベーシックインカムの給付の財源は、上記のほかに、財政の均衡のため、広範囲に税を負担させることができる消費税が最大の税源となるべきです。
前記のように、ベーシックインカムの最低生活費の給付は、消費税込みの生活費となるので、消費税には逆進性があり、弱者に厳しい税金であるとの批判は、当たりません(給付に消費税を上乗せしているので誤りです。)。
また、ベーシックインカムがあることから、消費税に社会政策的な非課税取引を認める必要性はほとんどなくなります。なお、労務の提供は役務の提供(帰属所得によるインセンティブ)と同視できるので課税取引とし、土地の譲渡、貸付や、利子、配当、保証料、保険料なども課税取引とすべきです(売上(収入金額)の取引=生活費・経費等の支払取引となり、すべての取引が課税対象となり、すべてマイナンバー付きの請求書・領収書の発行を義務付ければ、脱税はできなくなります。)。さらに、免税業者を認める必要はありません。
さらに、所得税の源泉徴収制度を準用すれば、消費税の徴収が簡素化できます(消費税というよりは、一般取引税という名称にしたほうがいいかもしれません。)。なお、源泉徴収の段階で、所得税と消費税が徴収されるので、2重課税のような重税感はありますが、所得税と消費税という別の機能の税金なので、決して一つの取引に関する重複課税ではありません(後で述べます目的税と消費税の関係も同じです。)。
法人税については、利益処分後の所得について課税することとし、役員給与、配当も損金として取扱う(役員給与、配当も上記の通り消費税の課税取引となります)こととし、法人に留保される所得には、高税率で法人税を賦課すべきと考えます(法人実在説を採用するも、法で認められた特別な存在なので、できるだけ所得を留保させるべきではなく、給与、配当、設備投資及び研究開発費等に余剰資金を流出させる必要があると考えます。減価償却費も即時償却や特別償却の額を増額することにより、流動的な資産の流れを創出する必要があります。なお、現行の法人税法でも課税所得の計算は、企業会計原則とは乖離しています。)。
次に、所有権の対象たる財産に対する課税について、財産権は憲法第29条第1項で保障されていますが、同第2項で公共の福祉に適合するよう法律で定めるとされていることから、権利の内在的制約で当然に受忍すべきものです。また、憲法第30条では納税の義務が規定されています。
そこで、個人の財産に対する資産課税をどのように考えるか、固定資産税や自動車税は、前者は地域の生活基盤についてに費用を不動産所有者に負担を求め、道路等の基盤整備の費用を自動車所有者に求めるのも、やむを得ないものといえます。
問題となるのは、相続・贈与等の資産の移転です。これを税の負担を求めずに認めてしまうと、貧富の格差がそのまま子孫に継承され、格差の是正ができなくなり、永遠の不平等を許すことになります。相続制度は、被相続人の財産は、血族である親族(家族)共同体の財産と考え、親族共同体の構成員にその財産を移転し、家族制度を維持する目的があると考えられますが、被相続人の財産は、家族の帰属所得を使用して形成された面(相互扶助義務)が強く、被相続人一人で形成したものではないことから、配偶者に対する財産分与、家族の寄与に対する財産の分配の機能があります。また、事業承継ができずに、産業や文化が衰退していくことを防ぐためには、事業継続のための資産の承継をスムーズに行う必要性もあります。(ただし、相続税・贈与税を逃れるための形だけの事業承継には、厳しく対応すべきで、その適用要件を絞り、承継後意図的に事業を廃止したり、事業の継続を形骸化させるような場合は、事後的に逃れた税額を徴収することも制度化すべきと考えます。また、事業の承継者は、相続人である必要はありません。)
したがって、相続制度をなくすとか、相続税を100%にするといった議論は妥当ではありませんが、あまりに莫大な財産を相続するセレブ層と何も相続財産のない無産層との格差が極めて大きい状況下では、一定額の基礎控除後の課税財産に高率な税率を適用する(もしくは累進課税による)ことが妥当といえます。また、贈与税も同様に考えられます。
現在の税制は、上記の税金のほかに、様々な目的税というものがあります。いわゆるガソリン税のような石油関係の燃料に賦課される税、酒・たばこに賦課される税、ゴルフ場利用税、入湯税や国際観光旅客税等の特定の利用者の受ける便益の環境整備等の費用に充てる目的の税は、一般的な税とは別に、応益負担によるべきなのでこの目的税が果たす役割は大きいと思います。
税率の設定は、応益負担を原則としますが、財政の均衡(インセンティブの選択の志向や資本の自己増殖も、ある程度経済成長への動機づけとして必要なので、緩やかなインフレ下における財政均衡となります)を保ちつつ通貨政策を勘案して所得課税を除き、5年ごとに税率を検討し、所得課税については、各年度の財政状況に基づき翌年度の税率を変更する弾力性が必要と考えます。
5 ベーシックインカムとMMTと新自由主義について
近年、ベーシックインカムを論じるときに、MMT(現代貨幣理論)がセットで論じられています。MMTはいわゆる新自由主義に結びつく経済理論とされています。
新自由主義とは、大雑把に言えば、経済に対する国家の干渉を極力減らし、小さな政府による民間の自由な経済活動により経済を運営するという考え方で、イギリスのサッチャリズム、アメリカのレーガノミクス、日本の中曽根民活以降の、一連の国鉄(JR)、電電公社(NTT)、専売公社(JT)、郵政(郵便・郵貯・簡易保険)の民営化の基礎理論となっているものです。
MMTは、「貨幣とは負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた特殊な負債」(信用貨幣論)とする通貨に関する理論で、財政支出(通貨の発行)により発行された国債は返済の必要な債務ではないという理論を導き出す根拠とされています。今回のコロナショックによる一連の財政支出(持続化給付金・特別定額給付金・GOTOトラベル・イート等々)による際限のない赤字国債は、安倍政権・菅政権が従来の財政均衡を基にした財政から、信用貨幣論による財政への移行を認容しているのではないかと考えられます。
信用貨幣論によると、通貨とは、上記2で述べたように互いの信用の共同幻想であり、「信用」と「負債=借用証書」が貨幣で、デフォルト(破産)する可能性のない政府(中央政府と中央銀行)が発行する「借用証書」であるという考え方により、赤字国債をいくら発行しても、赤字国債の更新(返済と新規発行)を繰り返せば、際限なく赤字国債を発行できるので、財政支出は財政均衡の歯止めの必要なく、後は高度なインフレが発生しない政策をとればいい、との考え方を導き、赤字国債発行による財政支出の根拠となっています。
一般的な企業会計の原則によれば、継続企業における貸借対照表では、国債は長期借入金の典型例で、期中に返済がなければ翌期以降に繰り越されて、借換えによる更新を含めた際限のない赤字国債の発行は、長期借入金の額を際限なく膨らませ、やがて破綻を導くとになるとするのが常識でしょう。
ところが、法人税法による貸借対照表は上記の通りですが、個人の所得税法の事業所得等の青色申告決算書の貸借対照表ではどうでしょうか。個人は、個人の生活とは別個に事業を営んでいることから、年の開始時の元入金以外の事業資金の個人からの流入を「事業主借」、家事費、家事関連費等の事業資金の個人への流出を「事業主貸」とし、翌年に繰り越されるのは、各種資産及び負債並びに元入金(年をまたいでの期首の変動はあります。)のみであり、事業主貸と事業主借は翌年に繰り越されません。事業主貸は基本的には個人の生活費となるものですが、事業が順調に経営され利益が生じていれば、一時的な資金不足を除いて事業主借はほとんど生じません。
この個人事業の貸借対照表を国家財政に例えれば、事業主貸は国民の生活費(医療・介護・教育も含む)、事業主借は赤字国債であると考えられます。よって、この赤字国債は長期借入金とは違い、翌年に繰り越されることはありません。(「赤字国債」という表現だと誤解を生むので、別の表現をしたほうがいいかもしれません。返済義務のある債務ではないので国債という表現は適切でないですが、実質的には貨幣発行益のようなものになると考えられます。)
ベーシックインカムの財源は、この考え方によるべきものと考えます。
ちなみに、東京都が感染防止協力金のために都債を発行したときは、返済義務のある都債となります。なぜなら、東京都には貨幣の発行権限がないため、返済義務のない事業主借には該当しません。これを欧州共同体に例えると、EUの通貨ユーロの発行権限はEUにあることから、加盟国には通貨の発行権限がありません。そのため例えば加盟国のギリシャが国債を発行しても、その国債は返済義務のない事業主借には該当せず、返済義務のある国債となります。ただし、EUが地域限定のベーシックインカムを返済義務のない債務(実質的な貨幣発行益)をもって実施することは可能を考えられます。
6 日本の現状でのベーシックインカムの導入の可能性について
2020年のコロナ対策のうちの特別定額給付金10万円は、ベーシックインカムの導入の呼び水となる可能性はありましたが、マイナンバーカードの普及が広まっていなかったこと、安倍政権それに続く菅政権は、持続化給付金による事業継続を優先し、各種のGOTOキャンペーンによる観光業・宿泊業・飲食業の活性化等による経済優先の政策を選択し、今後特別定額給付金の継続はせず、ベーシックインカム導入の可能性はなくなったと思われます。(しかしながら、コロナ禍の一連の財政支出の赤字国債の大幅な増大は、もはや均衡財政主義ではすべての国債の返済は不可能で、すでにMMT理論による財政支出と理解しなければ、返済不能な赤字国債で財政破綻している状態のはずです。)
今回ここで検討している継続的なベーシックインカムは、上述の通りAIの進展に伴う労働概念の変化によるものであります。しかしながら、日本の現状は低賃金労働者の不足を、外国人労働者の技能実習生(国際貢献を謳った技能実習名義により低賃金で酷使し、人権問題をも発生させており、低賃金労働者である実習生の供給先も韓国・中国・タイからベトナム・フィリッピン・ミャンマーに代わり、今後はアフリカ諸国となるかもしれません。)で賄っている状態です。この現状では、AIによる「低賃金による酷使とならざるを得ない職種の労働」の置き換えができていないことから、とても経常的なベーシックインカムを導入できる状況下にはないと考えられます。(奴隷制度を礎とした古代ギリシャや古代ローマの共和制と同じようなものです。)
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